創作に関するあらまし
Concept
表現の成り立ち:::
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作家活動の始まり。立体へ::::
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創作活動::::
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北・中米から帰国後アクセサリー製作を始める上でヴァテマラで逢った職人系作家さんと同じ技術を持っている長年彫金の宝飾職人をされている塾工の方の元で技術の基礎を学びました。1年が過ぎた頃、自分の中の更なる大きな進展は たまたま縁あって知り合ったチベット系ネパール出身の友人から首都カトマンズにあるパタン地区の事を聞きます。この地区は彫金と同じような技術で仏像やお皿や法具等 かなり立体的なものを型に流し込みの鋳造ではなく(現代はほぼ鋳造が主流。ここ最近では絵やデータを読み込ませる立体プリンター技術に替わりつつあり、より人の手から造られる事から離れつつあるのかもしれません。テクノロジーの進化は人間を革新的に楽にしてくれたり今まですごく手間がかかっていた事がごく短時間で
お手軽にできるようになったりしますが、使う側がその意識をしっかり持っていないと逆に退化したりテクノロジーの進化に頼りきりで本人は何もできなくなったりすると思います)、金属の板からハンマーやタガネを使ってあらゆる物を作り出していると聞いて いてもたってもいられずに気が付けばネパールの地に立っていました。日本で彫金技術を学んで分かった事は 思ったよりも立体的な物はできないということでした。。元々彫金とは基本 板と線から構成するので一般的には割と平面的なものになります。
ネパール人の優しさを実感しながらパタン地区に通いつめ一人の素晴らしい職人さんとほどなくして出逢いました。丁度花嫁の親御さんから嫁入り道具である銀食器セットのオーダーを受け製作しているところでした。日本ではいつの時代の話?と思う事ですが、ネパールではそんな良い伝統。風習。習慣が強く残っています。お皿や水を入れるポット等非常に微細で凝った装飾を緻密に施してゆきます。一点一点本当に時間をかけて精製しているので、花嫁セットを製作するのに2~3ヵ月かけて完成させると言っていました。工場の規模によってはたくさんの職人が分業で流れ作業のようにとにかく数をこなして量産している所もありますが、私が通ったこの職人さんは助手が一人いて全工程を二人で全て製作していました。道具も日本みたいに多種多様に細分化させた用途の工具があるわけではないので、その少ない道具を駆使して様々な立体を生み出すスキルや発想はむしろテクノロジーを超えていると感じました。何よりも商業ベースのいわゆる一過性のデザインではなく ここでも物そのものが語りかけてくるような物語りを感じる存在感や長い時間一緒に過ごそうと思えるような 本当の本物。。を感じました。この感覚はヴァテマラの職人系作家さんの作品を見た時にも感じた感覚です。自分が訪れているのにも関わらず 向こうから感性に訪れてくる感覚。。。ネパールには1ヶ月程いましたが。この職人さんとの素晴らしい出逢いと、もう1つ別の大きな出逢いもありました。
アクセサリーの創作活動の上で大きなエレメントになる出来事でした。日本ではダイヤモンドやルビー。サファイア等宝石を売っているジュエリーショップは高級店にある高級品。当然高額なイメージがありますが、ネパールではガーネットやペリドット。トパーズなどの半貴石。ダイヤモンドなどの貴石。産地も近いという事もあり、どちらも石は石というスタンスで販売している店がわりとあります。石屋の主人が店の前でよくのんびり?まったり?佇んでいて前を通ると話かけられ、チャイをおごってもらって話相手になったり常にデッサンできるように持ち歩いていたスケッチブックを見せたりしているうちに石屋の主人からの提案でデザイン画と石を交換しないか?とか店の表のショーケースの中のレイアウトやデザインを考えるのと石と交換しないか?とか色々提案されて 面白そうだったのでこの石屋さんと物物交換のような取り引きを通して携わるようになりました。ここで様々な石の不思議な色や奥行きや輝きに惹かれました。特に理由や何故そう思うかは自分でも分からないのですが、数多く並べてある石の中に無性に懐かしさを覚える石があって、そう強く感じた石を自然に選んでいました。元々古代遺跡や古い建造物やアンティークが好きだったのもあり、石は形成されるまでに何千年何万年とかかって石になる究極の歴史の系譜。遺産でもあります。石の魅力にこの場所で知る事は偶然のようで必然だったと思います。自分の思うデザインソースだけではなく 石の持つ表情に表現やテーマをなぞらえたデザインエレメントを添える。。もしくは包む。。そんな感じでカタチを表現・形成してゆきます。
日本に帰ってから意欲的に製作活動。販売活動。共に力を入れました。日本では手に入らないようなネパールならではの彫金道具もカトマンズの彫金道具専門店で手に入れてきて 元々持っていた道具と合わせてそれを駆使して創作していきます。そこから更に1年間直接地金を加工する技術を磨き、現在の主流の製作方法であるロストワックスにも次第に興味を持つようになります。自由な立体表現には根本的にやはりこの技法が向いています。地金を直接糸ノコで切って形を造るのとは対照的に柔らかいワックスをハンドリューターやヤスリ。スパチュラを使い削って形を形成します。彫金とは違い酸素ガスとプロパンガスを混合させて1000℃以上の高温をバーナーで出して溶接のようなロウづけで金属と金属をくっつける作業の必要もないです。ワックス原型を造ったら型をとって金属を流し込むのです。加工しやすいやわらかい物を削って直接火はつかわない造形系の技法に徐々に廃れつつある彫金の職人さんは嫌悪感を露にしていました。ワックスの職人さんも直接金属を扱うわけではない事からどこか後ろめたさがあるのか彫金の職人さんの事は尊敬しつつも今どきではないスタイルとどこかワックス職人に対して上から目線の態度に牽制気味の姿勢が現状でした。私は通ってはいませんが、金属加工の学校ではロストワックスと彫金の授業のプログラムは完全に分かれているようです。。
けれど、実はどちらの技法もそれぞれとても良い部分があると思っていました。しかもそれぞれにできない。もしくはやりにくい表現を補い合えるように感じました。そして二つの技法を合わせて1つのものを創ったらより凄い物ができると可能性に心踊らせました。大事なのはこだわりであり 凝り固まった意固地な意思ではない事が物創りで大事な事だと思います。変わらない芯の部分と自由な表現。。古きよきものを大切にしつつ しかし、そこに捕らわれすぎて新しい物作りを恐れるのは進化を拒むようで良くないと思います。ただし、新しくとも面白いだけ 話題性だけの希薄なものはすぐに廃れてしまいます。それも自分の表現、ひいては創造と想像の源から落ちたいちるの雫をもらって形にして世に出している自分としては
永く伴にできないものは製作したくありません。物の理想としては歴史を踏襲しながらも新しい表現。そしてその表現は時代と場所を超越するものであり、使う人の人生を伴に歩む事ができて心に残りつづける物です。
話はかなりそれましたが、知人の紹介でタイのバンコクにあるワックス形成から鋳造までをおこなう工場を見学できる事になります。この工場は100人余りが働く結構大きな工場で、ジュエリーはもちろんの事 立体的なオブジェまでもを製作して世界各国から受注を受けて日々様々な物を製造していました。工場長が寛大な方で、この工場でアート部門のワックス形成セクションに入れてもらえる事となり、ここでワックスによる造形の修行ができる事となりました。。この話の詳しい続きはいずれまた。。。
製作の広がり::::
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波紋の広がり::::
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根底での繋がり::::
アトリエ兼ショップをアクセスの良い京都駅近くから、昔の日本を多く感じれる嵐山の奥嵯峨に移して、これも兼ねてから興味があった服創りを始めました。最初はアーチザナル感。ボヘミアン感を存分に出すように総手縫いで作っていましたが、次第に ”古代感+未来感” を新たな表現に加え。一気に工業用の平ミシンとロックミシンを導入して、卓上でマニュアルに従ってパターンをひくのではなく、立体裁断用のトルソーにピンを打って裁断する完全立体でのウェア製作に挑みました。one size one color 。本当に一点しか創らないスタイルで創作しています。Made by hand1/1 のタグが作品に縫い付けられているのはその証です。日々、更なる探求を重ね 真の ‘‘唯一無二” を目指して もの創りに従事してゆきます
観念::::
世界中で ‘‘心のこもった物” が年々減少し失くなっていってるように思います。もちろん便利さは豊かさに繋がりますし大量に生産する事もコストダウンに繋がり一般的に物を供給するのにも役立っていると思います。そうする事によって格差社会がなくなっていき、平均的に物が行き渡るのも事実でしょう。ただ、便利さや手軽さやお得感で手にする物ばかりに思考が傾きすぎると 『本物』 が見えなくなっていくように思います。 ANOMALY STRUCTURE は本当に『人生を共にできるモノ。自分の人生という歴史を一緒に歩んでいけるモノ』を普段から手にしていって欲しいと思っています。もちろん手間をかけ暇をかけして作られたものは大抵安くはありません。。けれど使い捨てるような物に囲まれていると、自分でも気づかぬ内に 愛着が湧くものがなく物質的に貧しくなるというよりむしろ心が貧しく寂しいものになってゆく気がします。。。ですので手の込んだものばかりは持つ事はできなくても、混ぜていくバランス。は非常に大事に思います。