創作に関するあらまし

Concept

 

表現の成り立ち:::

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世界の国々を旅し、その国の訪れた街や村で現地の人々と交流を持ち、時には生活を共にさせていただき その土地特有の生活様式や風習の中に身を置き、習い。感銘や影響を受けると同時に自分のルーツやアイデンティティーを自然に考え、そして強くそれを感じながら 絵画製作等のアート活動を通して自分なりのカタチを表現していました。

 

作家活動の始まり。立体へ::::

 

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 絵画製作という平面の中に落とし込んだある意味自由な立体表現から、本当の意味での立体を創る。。。手にとれて身に付ける事ができる立体造形とも言える装飾品を創る切っ掛けとなったのは自身が26歳の時にアメリカ・ロスのサンタモニカでショップに雇われてデザインを描いたり絵のオーダーや描き貯めていた作品を販売したりするアート活動を一段落した際にメキシコに南下した時の事です。メキシコに一歩足を踏み入れた瞬間に雰囲気は一変。アメリカ大陸の北米のムードとは全然違うラテンの陽気な中米の雰囲気に包まれて、その空気に惹かれて結局5ヶ月間各地を転々としながらアート活動をするのですが、この放浪のアート旅そのもののメインはアメリカだったはずがアメリカは3ヶ月 少しメキシコを見てアメリカに戻ろうと思っていたのがそのままメキシコに長らく居ついてしまいました。。(この後結局アメリカには戻りませんでした) そしてメキシコに入ってしばらくして たまたま訪れたオワハカでモンテアルバン遺跡を見ました。約3000年前に古代人が造った建造物に圧倒されていました。神に近づく為にわざわざ高地に造っていた事も相まってその存在感は荘厳でした。この古代の建造物との出会いが作画という平面での表現から立体造形に大きく表現が移行した切っ掛けとなったと思います。そして装飾品を製作する直接的に影響を受けた出逢いが このモンテアルバン遺跡から数ヵ月後にメキシコから更に南下してヴァテマラのアンティグアという(街の名前がアンティークという意味)とても見所の多い散策しがいがある街を訪れた時の事です。ここは観光客も多く いたるところで観光客相手に露店をやっていました。その露店の中にあって強烈な個性とクオリティーを持った作品を割と無造作に並べて売っている人がいました。露店は大体簡易的につくったお土産の民芸品が多かったですが、この人のアクセサリーは他とは全く異質でした。アステカ文明のデザインソースを踏襲しながらも独自の思想や表現を盛り込み、完全なるオリジナルスタイルのファンタジーなアステカへと昇華させていました。私はこの職人系作家さんの作品の世界観に引き込まれました。。簡易な商品ではなく、それは正に作品と呼べるものでした。まるで物が語っているような雰囲気のその銀細工を旅の終盤という事もあり、あまり手持ちのお金もありませんでしたが買えるだけ衝動的に買っていました。そしてどうやって作っているか教えてほしいと無意識のうちにお願いしていました。快く二日後に工房に訪ねてもよいと言ってくれたので 興味の湧いた作り方や加工の仕方を道具や工具を見せてくれながら説明してくれました。その加工や製作過程が鮮烈に強く心に残って 帰ってからアクセサリー製作をすぐに始めました。この立体造形が実質アノマリーストラクチャーの始まりとなります。

 

 

創作活動::::

 

 

北・中米から帰国後アクセサリー製作を始める上でヴァテマラで逢った職人系作家さんと同じ技術を持っている長年彫金の宝飾職人をされている塾工の方の元で技術の基礎を学びました。1年が過ぎた頃、自分の中の更なる大きな進展は たまたま縁あって知り合ったチベット系ネパール出身の友人から首都カトマンズにあるパタン地区の事を聞きます。この地区は彫金と同じような技術で仏像やお皿や法具等 かなり立体的なものを型に流し込みの鋳造ではなく(現代はほぼ鋳造が主流。ここ最近では絵やデータを読み込ませる立体プリンター技術に替わりつつあり、より人の手から造られる事から離れつつあるのかもしれません。テクノロジーの進化は人間を革新的に楽にしてくれたり今まですごく手間がかかっていた事がごく短時間で
お手軽にできるようになったりしますが、使う側がその意識をしっかり持っていないと逆に退化したりテクノロジーの進化に頼りきりで本人は何もできなくなったりすると思います)、金属の板からハンマーやタガネを使ってあらゆる物を作り出していると聞いて いてもたってもいられずに気が付けばネパールの地に立っていました。日本で彫金技術を学んで分かった事は 思ったよりも立体的な物はできないということでした。。元々彫金とは基本 板と線から構成するので一般的には割と平面的なものになります。
ネパール人の優しさを実感しながらパタン地区に通いつめ一人の素晴らしい職人さんとほどなくして出逢いました。丁度花嫁の親御さんから嫁入り道具である銀食器セットのオーダーを受け製作しているところでした。日本ではいつの時代の話?と思う事ですが、ネパールではそんな良い伝統。風習。習慣が強く残っています。お皿や水を入れるポット等非常に微細で凝った装飾を緻密に施してゆきます。一点一点本当に時間をかけて精製しているので、花嫁セットを製作するのに2~3ヵ月かけて完成させると言っていました。工場の規模によってはたくさんの職人が分業で流れ作業のようにとにかく数をこなして量産している所もありますが、私が通ったこの職人さんは助手が一人いて全工程を二人で全て製作していました。道具も日本みたいに多種多様に細分化させた用途の工具があるわけではないので、その少ない道具を駆使して様々な立体を生み出すスキルや発想はむしろテクノロジーを超えていると感じました。何よりも商業ベースのいわゆる一過性のデザインではなく ここでも物そのものが語りかけてくるような物語りを感じる存在感や長い時間一緒に過ごそうと思えるような 本当の本物。。を感じました。この感覚はヴァテマラの職人系作家さんの作品を見た時にも感じた感覚です。自分が訪れているのにも関わらず 向こうから感性に訪れてくる感覚。。。ネパールには1ヶ月程いましたが。この職人さんとの素晴らしい出逢いと、もう1つ別の大きな出逢いもありました。

アクセサリーの創作活動の上で大きなエレメントになる出来事でした。日本ではダイヤモンドやルビー。サファイア等宝石を売っているジュエリーショップは高級店にある高級品。当然高額なイメージがありますが、ネパールではガーネットやペリドット。トパーズなどの半貴石。ダイヤモンドなどの貴石。産地も近いという事もあり、どちらも石は石というスタンスで販売している店がわりとあります。石屋の主人が店の前でよくのんびり?まったり?佇んでいて前を通ると話かけられ、チャイをおごってもらって話相手になったり常にデッサンできるように持ち歩いていたスケッチブックを見せたりしているうちに石屋の主人からの提案でデザイン画と石を交換しないか?とか店の表のショーケースの中のレイアウトやデザインを考えるのと石と交換しないか?とか色々提案されて 面白そうだったのでこの石屋さんと物物交換のような取り引きを通して携わるようになりました。ここで様々な石の不思議な色や奥行きや輝きに惹かれました。特に理由や何故そう思うかは自分でも分からないのですが、数多く並べてある石の中に無性に懐かしさを覚える石があって、そう強く感じた石を自然に選んでいました。元々古代遺跡や古い建造物やアンティークが好きだったのもあり、石は形成されるまでに何千年何万年とかかって石になる究極の歴史の系譜。遺産でもあります。石の魅力にこの場所で知る事は偶然のようで必然だったと思います。自分の思うデザインソースだけではなく 石の持つ表情に表現やテーマをなぞらえたデザインエレメントを添える。。もしくは包む。。そんな感じでカタチを表現・形成してゆきます。

日本に帰ってから意欲的に製作活動。販売活動。共に力を入れました。日本では手に入らないようなネパールならではの彫金道具もカトマンズの彫金道具専門店で手に入れてきて 元々持っていた道具と合わせてそれを駆使して創作していきます。そこから更に1年間直接地金を加工する技術を磨き、現在の主流の製作方法であるロストワックスにも次第に興味を持つようになります。自由な立体表現には根本的にやはりこの技法が向いています。地金を直接糸ノコで切って形を造るのとは対照的に柔らかいワックスをハンドリューターやヤスリ。スパチュラを使い削って形を形成します。彫金とは違い酸素ガスとプロパンガスを混合させて1000℃以上の高温をバーナーで出して溶接のようなロウづけで金属と金属をくっつける作業の必要もないです。ワックス原型を造ったら型をとって金属を流し込むのです。加工しやすいやわらかい物を削って直接火はつかわない造形系の技法に徐々に廃れつつある彫金の職人さんは嫌悪感を露にしていました。ワックスの職人さんも直接金属を扱うわけではない事からどこか後ろめたさがあるのか彫金の職人さんの事は尊敬しつつも今どきではないスタイルとどこかワックス職人に対して上から目線の態度に牽制気味の姿勢が現状でした。私は通ってはいませんが、金属加工の学校ではロストワックスと彫金の授業のプログラムは完全に分かれているようです。。
けれど、実はどちらの技法もそれぞれとても良い部分があると思っていました。しかもそれぞれにできない。もしくはやりにくい表現を補い合えるように感じました。そして二つの技法を合わせて1つのものを創ったらより凄い物ができると可能性に心踊らせました。大事なのはこだわりであり 凝り固まった意固地な意思ではない事が物創りで大事な事だと思います。変わらない芯の部分と自由な表現。。古きよきものを大切にしつつ しかし、そこに捕らわれすぎて新しい物作りを恐れるのは進化を拒むようで良くないと思います。ただし、新しくとも面白いだけ 話題性だけの希薄なものはすぐに廃れてしまいます。それも自分の表現、ひいては創造と想像の源から落ちたいちるの雫をもらって形にして世に出している自分としては
永く伴にできないものは製作したくありません。物の理想としては歴史を踏襲しながらも新しい表現。そしてその表現は時代と場所を超越するものであり、使う人の人生を伴に歩む事ができて心に残りつづける物です。
 話はかなりそれましたが、知人の紹介でタイのバンコクにあるワックス形成から鋳造までをおこなう工場を見学できる事になります。この工場は100人余りが働く結構大きな工場で、ジュエリーはもちろんの事 立体的なオブジェまでもを製作して世界各国から受注を受けて日々様々な物を製造していました。工場長が寛大な方で、この工場でアート部門のワックス形成セクションに入れてもらえる事となり、ここでワックスによる造形の修行ができる事となりました。。この話の詳しい続きはいずれまた。。。 

 

 

製作の広がり::::

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身に付ける事のできるオブジェ。。貴金属の加工を始めて3年が経った頃、ある程度の加工や実験的な斬新表現による作品創りができるようになってきたと同時に新たに作りたいモチーフが生まれてきていました。。絵画からアクセサリー。平面の世界から身に付ける事のできるアート。そしてそこから身に付ける事により"それ自体が役割を担える実用性のある物"です。自身が世界を旅したり日常でもずっと身に付け使用していたレザーバッグを自身の手で作りたくなりました。外国で見つけて数年使って壊れたり破れたりして、なんとか直し直し使って 直せないほど壊れてしまったらまた新しいバッグを見つけてという風にレザーバッグは歴代愛用してきました。元々、使い込めば使い込む程に味わい深くなり魅力が新しい時よりも増してゆくレザーはとても好きでした。しかもレザーは自分の使い方によって独自の色の変化や風合いが出て来ます。これはまるでアンティークやヴィンテージ。壮大に言うとしたら遺跡に言えるウェザリング(風化)の美しさが自分が身につけている物に起こるという奇跡的に素晴らしい事が身に付けながら時間の経過により体感できます。更に使い古してもう使えなくなったバッグは飾ればとても風合いの良いオブジェに成り得ます。それが切っ掛けでレザーバッグやコインケース。カードケース。ウォレット等の製作を始めました。最初はミシンは一切使わず、総手縫いだけで異常とも言える時間をかけて精製していました

 

 

 

波紋の広がり::::

 

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革細工では最初。総手縫いで製作していたのに加えて、ある意味プリミティブ(原始的)な風合いを大切にしていました。貴金属は無機物です。その無機物を有機的に見せたりもしました。革は有機物です。革細工を始めるにあたり、最初は有機物のみで構築する事に徹底しようと思い金具類は敢えて一切使わずにデザインはステッチや革を切り替えて見せて、かなりシンプルに作っていました。革包丁で裁断して菱目打ちで下穴を開けて手縫いする工程はとても原始的に思えてワクワクしました。元々興味もありましたが、革を手縫いしている事で日本古来の縄文や弥生時代。独特なアイヌ文化からも影響を受けて博物館や図書館に足を運び、それらの資料を見たり読んだりしてイメージが形作られていきました。海外をたくさん見てまわる事。。つまり外を知る事で内に段々興味も湧いてきました。日本という内のかけがえのない素晴らしさに外を見た事により気づけたように思います。日本を自分なりに掘り下げると同時に諸外国で見た歴史ある建造物や現代のデザイン。アートとも繋がりながらレザークラフトを製作してゆきました。シルバーの世界は大体タイプに分けると1ゴージャスな宝飾。2装飾を極力カットオフしたシンプルでエッジーなデザインのブランド系。3デコラティブな唐草や剣。スカルモチーフのハードデザインのブランド系のスリータイプです。雑誌を毎月買っても掲載されているブランドやスタイルは大体一緒の いわゆる定番物が殆どです。。銀細工を始めて2年間は毎月数冊のシルバーの雑誌を買っていましたが 変わらないスタイル。。保守的な世界感に少し寂しさを覚えてゆきました。。レザークラフトの世界も 武骨なアメリカンスタイルもしくはこじゃれたイタリアンスタイル。可愛いフレンチカントリーなスタイルかのどれかのカテゴリーに大体系統別けされます。どうしても元々それらが好きな方が作家になったりブランドを立ち上げるので影響を受けたモノに近づいてしまい そこに似てしまいます。。ここで思ったのが、影響を受けたとしてもそのまま真に受けてしまうのは違うと思いました。もちろん素晴らしい物を見て感動したり感銘を受けるのは非常に良い事だと思います。実際影響を受けるのは良い事だと思います。けれど、それはあくまでもその人やそのブランドのデザインであって まるでそれみたいに作ってしまうのは 本物ではないように感じました。ましてや自身の手でわざわざ世の中に溢れている物を時間をかけて作る意味は一切ないです。あくまでも自分のアイデンティティーやルーツを感じ、思慮を深め。自分なりの、自分にしかできない"唯一無二"を表現するのが本当の表現であり 作品と呼べる物になるのだと思いました。
波紋の連奏

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プリミティブとも言えるレザークラフトの製作に従事して数年。自分の中で新たな可能性やイメージが生まれていました。古代のデザインや風合いから時代を進めるかのように、それまで使わなかった金具を用いたデザインに着手します。今までの古代的なイメージは残しながらポイントを押さえたアクセサリーのように効果的に金具を使用します。それによりデザイン的にもかなり広がりが生まれました。この頃まではレザーは長年クラフトマンをされている知り合いの方等に中卸の店や町の革屋さんで購入したりレザークラフトの材料屋さんで購入していたりしましたが、革を製造している工場を直接見てみたくなり いわゆるタンナーさん(革を鞣している工場の事)にアポをとって直接足を運んでオリジナルの革を作ってもらったり、稀少なストックを買わせてもらったり、ハイブランドのボタンやスナップ。ナスカン。バックル等の服資材を作っているところに直接発注をかけたりと、作品に使う材料がより個性的でハイレベルなものに上げていきました。どうしても街の材料屋さんはありふれた材料が殆どなので製造元に行くとマニアックで凄いものがあり自分には合っていました。そして総手縫いだった製法も より細かなディテールやデザインを入れれるように工業用ミシンを導入します。その後ほどなくして革の漉き機も導入しました。今まで扱った事のなかった重機はとても新鮮で様々なデザインを具現化するのに最適でした。シンプルな風合い重視な作風から段々複雑で細かなディテールのデザインを構築してゆくようになっていました。ハンドメイド(手作り)からハンドビルド(手構築)への移行だった時期だと思います。アメリカンスタイルやイタリアンスタイルではなく、緩急をつけた日本庭園や寺社仏閣の佇まい。琳派等日本美術。日本的な美しい景観。自分に間違いなく流れているその自然なメカニズム。。そこを何よりも大切にデザイニングしようと思っていました。着物や和小物の材料を使わずにして 世界における日本美を表現してゆこうと思いました。けれど不思議で興味深い事に 作品を見てくださる方により 日本的というだけではなく、ギリシャっぽいとか古代ローマみたいとか同じ作品でも人により様々に見えかたが違うようでした。もしかしたら日本という内を掘り下げる事により外ともより繋がるのかもしれないと面白い発見がありました。

 

 

 

 

根底での繋がり::::

 

アトリエ兼ショップをアクセスの良い京都駅近くから、昔の日本を多く感じれる嵐山の奥嵯峨に移して、これも兼ねてから興味があった服創りを始めました。最初はアーチザナル感。ボヘミアン感を存分に出すように総手縫いで作っていましたが、次第に ”古代感+未来感” を新たな表現に加え。一気に工業用の平ミシンとロックミシンを導入して、卓上でマニュアルに従ってパターンをひくのではなく、立体裁断用のトルソーにピンを打って裁断する完全立体でのウェア製作に挑みました。one size one color 。本当に一点しか創らないスタイルで創作しています。Made by hand1/1  のタグが作品に縫い付けられているのはその証です。日々、更なる探求を重ね 真の ‘‘唯一無二” を目指して もの創りに従事してゆきます

 

観念::::

 

世界中で ‘‘心のこもった物” が年々減少し失くなっていってるように思います。もちろん便利さは豊かさに繋がりますし大量に生産する事もコストダウンに繋がり一般的に物を供給するのにも役立っていると思います。そうする事によって格差社会がなくなっていき、平均的に物が行き渡るのも事実でしょう。ただ、便利さや手軽さやお得感で手にする物ばかりに思考が傾きすぎると 『本物』 が見えなくなっていくように思います。 ANOMALY STRUCTURE は本当に『人生を共にできるモノ。自分の人生という歴史を一緒に歩んでいけるモノ』を普段から手にしていって欲しいと思っています。もちろん手間をかけ暇をかけして作られたものは大抵安くはありません。。けれど使い捨てるような物に囲まれていると、自分でも気づかぬ内に 愛着が湧くものがなく物質的に貧しくなるというよりむしろ心が貧しく寂しいものになってゆく気がします。。。ですので手の込んだものばかりは持つ事はできなくても、混ぜていくバランス。は非常に大事に思います。